それは、40歳を過ぎた、ある秋の晴れた日のことでした。パソコンの画面を見ていた私の視界の端に、まるで、小さな黒い虫が、フワリと飛んだのです。最初は、気のせいか、目のゴミだろう、と、さして気にも留めませんでした。しかし、その日から、その「虫」は、常に私の視界に、居座るようになりました。数日後、その数は、明らかに増え、黒い点の他に、まるで、墨を流したような、ゆらゆらと揺れる、黒い影まで、現れ始めました。そして、時折、部屋の隅で、誰かが、カメラのフラッシュを焚いたかのような、閃光が走るようにもなりました。さすがに、これはおかしい。そう感じた私は、近所の眼科を受診しました。瞳孔を開く目薬を差し、眼の奥を、隅々まで調べた医師の表情が、曇ったのを、私は見逃しませんでした。「大きな病院を、すぐに紹介します。網膜に、穴が開いて、剥がれかかっています」。その言葉は、私にとって、青天の霹靂でした。紹介された大学病院での診断は、「裂孔原性網膜剥離」。そして、視力の中枢である黄斑にまで、剥離が、まさに、あと数ミリのところまで、迫っている、極めて危険な状態でした。「今夜、このまま入院して、明日の朝一番で、緊急手術をします。一刻の猶予もありません」。医師の言葉は、冷静でしたが、その裏にある、極限の緊張感が、私に、ことの重大さを、突きつけました。もし、あの時、「ただの飛蚊症だろう」と、受診を一日、いや、半日でも、先延ばしにしていたら。もし、手術までの間に、黄斑が剥がれてしまっていたら。私の利き目の視力は、もう、二度と、元には戻らなかったかもしれません。手術は無事に成功し、幸いにも、視力は、ほぼ元通りに回復しました。しかし、私は、今でも、時々、あの日のことを思い出します。視界に現れた、あの小さな黒い虫。それは、私の網膜が発した、最後の、そして、最大のSOSサインであり、失明までの、静かなカウントダウンの、始まりの合図だったのだと。
ある日の飛蚊症、それが私の「失明までのカウントダウン」の始まりだった